凍えない家と思い出の墓

(文責:今浦)

1月に、人並みの家に引っ越しました。
それまでは教員住宅という教員の社宅みたいなところに住んでいました。

コンクリートブロックで出来た古くてせまーい家。
断熱は多分何にもなくて、結露は当然、窓は西に開放、季節の変化を肌で感じられる住み心地と、なんとも坂本研らしからぬ家に長年住んでいたわけです。
(田中君はエアコン付けなかったと言っていましたが、うちにもエアコンなんていうものは存在しませんでした。)



どうやって生活していたかといいますと、夏はなるべく薄着で、冬はなんでも着込む、これ基本ですね。
弟が二人いますが、暑ければ限界まで脱いでいました。
真冬には家の中でウインドブレーカー来て、それでもしのげなくなったらお風呂に入って布団にもぐりこむ感じです。


私は一応建築の学生として、いかにこの悪環境を改善してあげるかにトライしてみたこともあります。
例えば猛暑。
すだれとザコを買ってきて、西日の降り注ぐ部屋に取り付けた時はなかなか好評でした。
すだれは、本当は外付けの方が効果高いのだけど、コンクリートに打ち込めないので断念したのです。
それから、家の中のどことどこの窓をあければ一番風が抜けるのかもよく実験していました。
風向きに合わせて自分が動くような生活スタイルですね。


母や弟もそれなりに頑張っていました。
風鈴というのはありきたりですが、なんとも心癒されるものです。


冬は逆にすきま風ぴゅーぴゅーですので、昭和チックに新聞を挟んでみたりもしました。


んで。ついにそんなおんぼろ教員住宅は取り壊されることになり、我々は新居探しを余儀なくされたわけです。
その時思ったのは、本当に家って、
・あたたかい、すずしい、日当たりがいい
・駅から近い
・地域の環境がいい
・間取り
そういうもので選ばれるんだということです。


凍えない生活が、どんなに嬉しかったかお分かりいただけるでしょうか?
ほんっとに、シェルターなんですよ。
あたりまえに断熱やエアコンの存在下で育った方にはぴんと来ないかもしれません。
でも、これが根底なんですね。。。


台所で大きなまな板が使えると喜ぶ母、
窓を開けて荒川の土手と星空を観察する父、
自分の部屋を得てギターをかきならす弟達、
家ってこういうものなんだなと思いました。


ただ逆に、私達は環境を感じる生活を失ったとも言えるかもしれないです。
あれほど着込んでいたものを脱ぎ捨てて、普通にエアコン付ける家族になりました。
引っ越して1ヶ月目の電気代にたまげたものです。
今日は寒いねとかあったかいねとか、起きた瞬間から感じられたものが、わからなくなりました。
間違って薄着で玄関を開けて、寒さにびっくりして上着を一枚足すこともあります。


どのレベルがいいのか、私が断言することは出来ません。
どちらも経験してみて、前の家に戻りたいとは思わないけど、断熱された家で余計にエネルギー使うという皮肉に苛まれます。


いいシェルターを得ても尚、自分達の最大限の努力をして省エネな生活するというのはなかなか出来ないのかも知れません。
あれば使うのが本能なんですね。


それから最後に。私は設計の課題で使われる「敷地」という言葉が嫌いになりました。
敷地って、我々に与えられた自由のように感じられるじゃないですか。少なくとも私はそうでした。
何を建てようか、何を計画しようか。どうやってこの敷地を魅力的にしようか。それは自由でした。


でも、何もなくなった我が家、何年も共に育った木蓮が切り倒された「跡地」を見に言って私は号泣しました。
この土地にに対して何もできなかった自分がものすごく惨めでした。
お墓です。我々の時間のお墓なんですね、その更地にあったものは。
知らずに敷地を見に来た人によって幸せを描く設計図が作られていくであろうその土地を、一生忘れられずに立ち尽くす人もいるわけです。


これは建築家の責任なんですね。私には重過ぎる事実でした(;_;)


なんてちょっと暗くなりましたが。笑
まあ、こんな気持ちは自分で背負っていきますので、DECoとしてはいい家でいい暮らしができる提案が成されれば嬉しいかなと思います☆