ハイテック/ローテック

岩元です。ILEKでの留学も、はや10ヶ月。留学中に感じたことをメモしておきます。これはたぶん、ものすごく当たり前のことなので、何をいまさら感があったらお許しを。


留学以前と今では、「ハイテック」という言葉から受ける印象が変わりました。ゾーベックをはじめ、ILEKのひとはよく「ハイテック」「ローテック」という言葉を使うのですが、どうも、僕が今まで感じていたニュアンスとは違うのです。
今まで僕は、「ハイテック」と聞くと、「ハイテック・スタイル」、あるいは「ハイテック建築家」を思い浮かべていました。例えば、ノーマン・フォスターやレンゾ・ピアノ。メタリックで、構造や設備が露出する建築のイメージ。
しかし、ILEKでは、語義通り「ハイテック」という言葉を使います。すなわち、"High Technology"がハイテックなのです。高い技術を用いた建築、高い技術を用いたディテールがハイテック。当たり前と言えば、当たり前なのですが。ここで留意したいのが、ILEKでいう「ハイテック」は、おそらくいかなる様式や形態にも結びつかない言葉である、ということです。構造や設備が隠れていても、高い技術を使っていれば、やはりハイテックなのです。むしろ、一般人にとってはブラックボックス化してしまった技術(アダプティブやセンサー・テクノロジーなど)が、現代ではもっとも「ハイテック」なのでしょう。
それに対置されるのが、「ローテック」です。ローテックという言葉には、ネガティブなニュアンスは含まれません。むしろ、低い技術水準=従来の技術水準でできる建築、という意味で、ポジティブに使われることが多いのです。例えば、「そのファサードの機構は、ローテックだけど効果的でいいね」とか。庇を用いた環境制御は、好ましいローテックの典型でしょう。ローテックなら、究極にローテックなものを目指すのもおもしろいわけです。


ハイテック/ローテック、どちらもテクノロジー(技術)に意識的である、という点が共通します。用いる技術のレベルが問題ではなく、技術に対して意識的かどうか。そこが、問われます。
日本にいたとき、太田浩史さんらと、読書会で"Low Tech High Tech Light Tech"という本を読みました。この本の意図していたことが、やっとわかってきたなあ、と思う今日この頃です。