ピソコモド

(文責 森山)
 

畳とDecoのつながりはやはり難しいです。


が、とりあえず畳は天然の吸湿材であるし、丁寧に張り替えたりすれば寿命が50年くらい見込めるらしく、なにやらDecoとのつながりをもてそうな臭いがします。

畳の可能性を追求する案を練っていけばどこかで開眼するとも限らん!!という勢いでとりあえず走り始めたらいいんでは。

東大生の悪い癖は、考えすぎる(ムダに)・議論が長い ということらしいので。


畳っていうととりあえず、「あの形」が想像されますよね。
長方形で、扁平のあれ。
そのイメージをとりあえずは疑ってみる。
例えば立体的な畳、ほぼいぐさ状態のまま空間をおおう迫力。それ自体で座ったり寝たりぶら下がったり蹴ったりなぐったり飛んだり跳ねたり。
ブレスト的に思いつくままに書いているので適当に見えたらすみません。
畳はイメージが固まってしまっているので、まずは笑いながら頭の体操程度に畳を軽くいじってやるのが良いのではないでしょうか。


あと「製図室で畳を敷いて寝る会」会員番号02の自分としては、製図室のフローリングに一枚の畳を置くだけで、なんと快適な寝室が出来ることかと驚いているのですが、どうでしょう。あれぞ一畳の力。一条の光。
空間を変化させる力の大きさを感じます。



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追記1
(文責 三井)


どこかで「畳は床」という感覚があります。畳は、建築的には「しつらえ、造作」であるのに、「床スラブ」よりも「床」として意識される。
建築を構成する部材ではないのに空間を支配する力の大きさを感じます。同じ事言ってますが、、


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畳は、日本の伝統的建築の「軸組×造作」という関係のもとで、造作の側にあること。
軸組は柱、梁であり、床や壁は造作に含まれる。
基本構造としての柱、梁はシンボルとして配置されているだけで、最終的な空間を限定するものではない。
造作が基本構造に付加されることで、たとえば床を床として認識できるようにするという役割がある。


一方西洋的考え方では床や壁は軸組(基本構造と言うべきか)に含まれていたこと。(壁式?)
床は軸組(基本構造)に含まれ、床は初めから床としてあり、それら一定の機能を持ったファクターの有機的な組み合わせによって空間が出来上がっていく。しかしそれは変化に対する機能的耐久性を損なうもの。
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「フローリングに一枚の畳をおくだけで」

畳は最終的な平面を作り出すアフェクターであること。
もちろんアフェクターであるから付加したり取り外す事はかんたん。


畳の、アフェクターとしての性格と、床としての性格。


伝統的な【柱、梁(基本構造)+床(造作)】に対して、【床(基本構造)+床、畳(造作)】
基本構造としての床と、造作としての床。
床に限らず、基本構造としての面と、造作としての面。
わかりにくいので何回も言い換えてみたけれど、やはりわかりにくいですが


言いたいのは、オーバーラップさせることが面白いんじゃないかな、と。
建築的スケールの座布団。テーブルの高さに座布団があったら?


畳は、畳表(表面に現れるイグサの部分)による表層的な性格が強いと思います。
そして畳表自体はゴザみたいなモノだからかなり自由度が高い。

畳をつかうことで、本来床として意識されない部分を床のように感じさせ、空間やライフスタイルに対して新しい提案ができるかも。

そしてアフェクターとしての性格をもつから、変化に対する耐久性も獲得しうる。そのあたりはDECoと結びつきそうかな。


正直、「畳と木と環境」、キーが3つ、というのがくせ者です。。



追記2 
 (文責:寺崎)


僕も上の2人のように空間に寄与する機能と印象の操作ばかりを考えていましたが…


お二人にいただいたコメントからすると、確かに現代日本における「畳的なもの」を考えてみるのもおもしろいかもしれません。吉岡徳仁さんが透明な畳を開発している、という記事を何かで読んだことがあります。また現在の畳には、畳床として藁ではなくスタイロをつかっているものも少なくありません。
そういう意味では畳の素材に関するとっかかりは多いかもしれませんね。


難波先生の言われた、畳を取り巻くライフスタイルの齟齬と現代的な生産を視野に入れた提案ということと、今回のDECoの裏テーマである木ということをみたすものとして、木材のリサイクル材のみで作れる畳というのはありえないでしょうか。つまり現代的な生産システムの中に畳をもう一度組み込もうということです。


畳そのものを提案したうえで新しい空間も作れれば最高ですね。言うは易しですが…