街並みの論理

文筆:今井

よく日本の街並みは諸外国を比べて秩序がなく雑然としている、と言われます。


しかし、アジアに旅行して気づくのは、こうした街並みは何も日本だけの特徴ではなく、アジアに共通するものであるということ。


例えば、バンコクでもクアラ・ルンプールに行っても日本と見間違うくらい景観には無頓着で雑然としています。


そして、こうした街並みが構成されている要因の一つとして、アジアモンスーン気候の影響が考えられます。


つまり、アジア特有の蒸し暑さ、日差し等が深く関わっていて、日本の住宅は『夏を旨とする』という格言がこのことを端的に示しています。


そのため、快適性を確保するために通風を重視した結果、隣接する家の間の隙間やら路地裏空間やらが複雑に絡み合い、一見無秩序に見える街並みが形成されたのです。


またライフスタイルでも欧米と比べて日照時間が長いので、欧米人からすると恥ずかしいとされる洗濯物を外に干す習慣があったりもするのです。


しかし、最近では快適性よりも『非日常を旨とする』高層マンションや南欧風住宅が人気を集めています。


支持される理由は、「休日は平日の喧騒から逃れたオフの生活をしたいから。」だそうです。


それゆえ、『夏を旨とする』のとは異なる論理で、表層を操作した街並みが更新されてきています。


俗に言う、建物がブランドやテーマパークのように消費対象となってしまっている、ということです。


こうした状況の背景には、住宅・設備性能の向上に伴い通風をしなくてもある程度の快適性が確保されていることが挙げられます。


僕は、日本の街並みは雑然をしたままでいいと思っていて、むしろあるべき街並みを文化的コンテクストの薄い西欧に範を求めてコントロールしようとする動きに異議を唱える立場です。


もし今後も“あるべき街並み”を考えるのならば、ゴールがあるかどうかも怪しい「整然とした街並み」を理想像として求めるのではなく、環境工学の視点から議論して誘導していくのが筋でありゴールではないのかと思います。