東京=スラム?

文筆:駒村

先日の今井君のテーマに沿って、思ったことを書かせて頂きます。

都市は様々な要素によって構成されています。
政治、経済、法律、宗教、文学、哲学、心理、工学、、、色んな要素(目的も色々、設計変数も色々)のパレート解だから、本当に放って置くことが可能なら、バラバラになるのだと思います。


多数の要素に重要度の高低をつけると、都市形成は整います。
フィレンツェやローマなら景観に、NYは経済に、ある民族国家は宗教に、それぞれ重要度を高く設定されて意識が統一されると、地域全体の形態がそっちの方へ整いだす。


ある地域の中の多数派の重要度の方向に、地域形成は進んでいくのではないでしょうか。

都市(地域)の形成は、
①エリアの指定の仕方
②そのエリアに所属する多数派の人間の重要度設定

によって方向付けられるように思います。


エリアは様々なスケールを持っています。家族、ご近所さん、学区、市区町村、県、国、、、
たとえ同じ場所にいても、エリアの区切り方によって所属者の価値観(重要度設定)も変化しません?
都市の概念も曖昧です。(ここでは詰めた議論はしませんが・・)


多数派が所属しない地域は、バラバラになります。東京は多種多様な価値観の混合状態で、一定の評価基準を持たない特徴ある都市だと思います。計画はバラバラになっちゃうけどね。スラムは?むしろ所属集団の共通概念があったりして。だからなんとなく統一されたイメージをもてる。



これからの日本は、多様化を受け入れる方向で、つまり多数派が存在しない形で成長をしていかなくてはならないのではないでしょうか。
「多様性を認めることを統一感に」という風に、日本の方向を定めてはいかがでしょうか?
建築も然り。


以上、駒村でした。