(筒井)
DECoとはあまり関係ないのですが、最近、下記の本を読んだので思ったことを書きます。
楳図カズオ『漂流教室
フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
宮崎駿風の谷のナウシカ
どれも未来を描いた物語ですが、楽観的ではない未来を描いたところで共通しています。


漂流教室』、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は1970年代に書かれ、前者は、近未来(100年後くらい?)の地球に小学校がタイムスリップしてしまうという物語です。現代の大量消費による環境破壊で不毛の地と化した、食料も何もない地球で、飛ばされた小学生と幼稚園児一人はなんとか生き延びようとし、最後にその幼稚園児だけは現代に戻ることが出来ます。そのような未来にならないように、現代の地球を破壊する流れを変える、と言う強い意志を持っているのが印象的です。その未来像かなり直感的ですが、地球で生きる者として、地球の未来を深刻に考える必要がある、というメッセージをこの時代に書いたのはかなり評価できることだと思います。
一方『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は、長く続いた戦争のため放射能灰に汚染され廃墟と化した地球を描いており、ほとんどの生物は絶滅しています。この作品では、環境は破壊されてはいるのですが、現代の延長上の文明の中でそれなりに幸せな生活を送ることが出来る、という意味で楽観的でもあります。(環境破壊は主題ではないのかもしれませんが)
風の谷のナウシカ』が書かれたのは80年代で、恐らく環境汚染と戦争によって現代文明の滅びた約1000年後の地球を描いています。そこでは環境を破壊し汚染する人間と、それを長い時間をかけて浄化する植物、昆虫が対比的、象徴的に描かれています。そんな世界にも、完全に自然と共生して生きる(失われた文明の残骸にある材料を再利用したり、蟲とギブアンドテークの関係を保ったり)人々もかなりリアルに描かれています。多分これが宮崎駿の描く理想的な人間像だと思われます。そのような人々の存在によっても、破壊し汚染する人間の愚かさが強調されています。(とは言っても宮崎駿はミリタリーオタクなので、戦争は人間の性でその面白いところも十二分に描かれているのですが。)宮崎駿の未来像は楽観的とは言えず、どちらかと言えば悲観的であり、他の作品でも自然との共生とか環境破壊の問題を「教訓」として描いています。


20年も30年も前にこれらのテーマを扱ってこれだけの作品を残した彼らは天才だとしか言いようがありません。そこで、今、このようなテーマを描こうとしても、既視感があったり、教訓を難度も繰り返されては鬱陶しかったり物語が安っぽくなったりして素晴らしい作品はあまり見られないように感じますが、地球の未来を深刻に考える必要は、当時よりも更に強まっていると思います。
現在、環境を考えた商品がTV等でも多く見られるようになり、一般人の意識も少しは良くなってきたとも言えるかもしれません。が、環境破壊を好転させるのにはまだほど遠い気がします。


先日の馬場さんのモアイ像に関するコラムでは、次のようなコメントをされていました。
『今も人間は多くの資源を使い、モノをつくっています。
(中略)お金を得る以上にモノをつくること自体を多くの人は幸せに思っています。
人間ってそういう生き物なんでしょうね。』


そして過度に消費し、破壊し、他人のことよりも自分のことを優先すると言うのも人間の性なのかもしれません。
物語は啓蒙的、教育的であるとはいえ、基本的に所詮フィクションですが、実際にものを作る立場の僕らは或る程度リアルな未来を念頭においてものを作る責任があるでしょう。(ここを見ている方はみんなそう考えていると思いますが)